卒業制作に正岡子規の最晩年の生活をシナリオにしました。
シナリオを書くに当たっての資料をここに。
きっかけは
を読んで。正岡子規の苦しみをもっと知りたくなった。号泣するほどの痛みに襲われても、なお書こうとする、いや、書くために生きるってことはどういうことか。なぜ人間は書き残したり、歌を歌ったりするんだろうか?そんなことをグルグル考えてた。あと、溺愛していた猫が亡くなったので、かなり落ち込み、死について考えたことも少なからず影響していると思われる。
子規が死の前年、明治34年9月から死の直前まで書いた公開を意図しなかった病床日記。毎日の食事の献立や庭の景色、麻痺剤服用日記など。家族が留守にしている隙に湧き上がる自殺への衝動…。
『その苦その痛何とも形容することは出来ない。むしろ真の狂人となつてしまへば楽であらうと思ふけれどそれも出来ぬ。もし死ぬこと出来ればそれは何よりも望むところである、しかし死ぬことも出来ねば殺してくれるものもない。一日の苦しみは夜に入つてやうやう減じ僅かに眠気さした時にはその日の苦痛が終わると共にはや翌朝寝起きの苦痛が思ひやられる。寝起きほど苦しい時はないのである。誰かこの苦を助けてれるものはあるまいか、誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか。』この言葉を読んでから、夢中で子規の随筆を読んだ。
そしたら、子規が夢に出てきて、泣いてた。
夢から醒めると私も泣いてた。
100年以上前に死んだ人の痛みが伝わってくることがあるんだ。
こんな痛みがあるなんて、知らなかったよ。
死んでけなされた漱石。切腹を許されなかった鴎外。追悼によって世にでた宮沢賢治。臨終の田山花袋に「死ぬ気分はどんなものかね」と尋ねた島崎藤村…死にまつわるエピソードは、小説家の生身の姿を鮮やかに浮き彫りにする。文人たちは知人の死をどう捉え、どう表現したのか?明治、大正、昭和の文士49人の死に寄せられた傑作追悼文や弔辞をとうして、近代文学の新たな一面を語る。一番最初に子規が取り上げられている。はたして子規は、どのように追悼して、追悼されたのか?
夏目漱石の親友が正岡子規だった。この本は子供向けの伝記だけど、かなり面白おかしく、「困った友人」子規として、正岡子規の一風変わった性格が面白おかしく書かれてる。子規の死に目には会えなかった漱石だけど、子規の死後、「坊ちゃん」のなかで子規を蘇らせた。
子規が実際使っていた文机や、直筆の原稿、水彩画などの写真が満載。正岡子規の幼少時代から没するまでの逸話なども。
子規の随筆を読んでいても、やっぱり美しく想像してしまう。そんな壁を実際の、子規が病床で体を起こしている生々しい写真が取っ払ってくれた。

正岡子規(1867-1902)慶応3年9月17日‐明治35年9月19日
俳人・歌人。松山生まれ。明治22年5月喀血し子規と号する。俳句雑誌「ホトトギス」主宰。31歳のとき、脊椎カリエスによって病床に臥し、以後文学に専念。